遠い記憶の底に沈んでいたポエム?エッセイ?童話?短編?……

ずいぶん昔から書きためていたエッセイとうです。取るに足らない記事ですが、ページを開いていただけたら幸いです。

    美と健康。これも一考

      


                  

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            何がなくても健康が一番


 『美と健康。これも一考』


「美」と一口にいってもとらえかたにより解釈が異なる。
 明るく健やかな健康美を求めるものもいる反面、
 社会通念とは異なるアブノーマルな世界にこそ、
 真実の美が存在すると言い切る者もいる.
「フランス近代詩の父」と、
知られるシャルル・ボードレール(1821-1867)は
『美とは巨大な、恐ろしげな純粋な怪物』であるといっている。
偉人の語る深い意味合いを凡夫にはトンと解せないが、
ボードレールは『美』とは、これだ。
と、喝破(かっぱ)したのかもしれない。
詩人の語る不思議な『美』の解釈をぼんやりとイメージした。
が、詩人でもなければ哲学者でもなく、感受性の乏しい私にとって、
常日頃、『美』を美として共感できるのは、
どのようなときだろうか。
と、ちょっと考えてみた。
うまい。色がきれいだ。
仕事に没頭する姿が美しい。
いい音楽だ。
紅も塗らず素顔のままだがあの女性(ひと)は輝いている。
役者の演じる細やかな所作が美しい。
美に対して素養のない私は、初めて目にすること体験すること、
胸にジィーンとくる一幕に無条件に感動している。
とくに子どもたちのコロコロと転がる屈託のない笑い声を耳にしたとき、
健やかな健康美を感じる。
そんなことを思いなが、ふっと思った。
美しいものをきれい。うまいものをおいしい。天真爛漫(てんしんらんまん)に遊ぶ子どもたちの一挙一動に美を感じることができるのも、日々の暮らしに満足しているおかげさまなのかもしれない。
しかし病に伏している家族がいたとしたら、どうだろう。
世界保健機構(WHO)では、
健康とは、肉体的、精神的、社会的に完全に良好であること。
と、定義されている。
病魔に思い煩い、日々、気苦労を抱えていては、
頑強な肉体を備えていても、WHOの意義に抵触し健康とはいえないだろう。
仮に体に不自由な障がいがあったとしても、
パラリンピック選手のように前向に生きていれば健常者といえる。
人生を積極的に生きる者の笑顔は『美しく』人々を感動させる。
美を感じ、味わい。そして『美』を愛(め)でることができるのは
健康に恵まれているおかげさま。
そんなことを思い洗面所の鏡の前に立った。
そして目を大きく開き顔をじっくりと覗き込んだ。
鏡面に顔を寄せた。
際が大きく後退した額を掌で何度も撫でつけた。
そして手鏡で頭部の前後、左右、ジックリと映した。
(薄くなっている……)
しばらくの間、鏡面を見つめていたが、次に腹に目を落とした。
「うーん……」
ここ数年、不規則な生活が続き、いつの間に胴回りが拡大している。
私は腹に眼を落とし腹をポンと叩いた。
そして、ひとりうなずいた。
素朴に『美』を感じることができるのも、言い尽くされたことわざだが
お金なくても健康が第一。
「よしゃ!ー」
私は鏡の中の私自身の目の奥を覗き込み大きくうなずいた。
数ヶ月前、いや三カ月ほど前になるか……
ピッと背を伸ばし家族に正面切って申し渡した約束。
「俺は、健康のために毎日ジョキングをすることにした」
私は強い決心をまなじりに宿し、
家族にきっぱりと宣言していたのだが、
『最近仕事が忙しくってジョッキングをする時間がない』
と、言い訳ばかりしてさぼっていた。
いまこそ家長としての威厳を保たねば。
「おーい。お前たち。このところお父さん仕事が忙しくて忙しくて、
少し……だけ……だけ、だけどジョキングを休んでいる。今日から……。
いや、
明日の朝から「明日からは絶対に休まずにジョッキングを続けることを再度、宣言する」
洗面所から首を伸ばし決意を新たに大きな声ではっきりと家族に告げたが、
戻ってきたのは奥さんの気のない返事。
「あ、そーですか」
そして、
「……ふ~ん」
「……」
ふたりの子どもたちには完全に無視された。
 

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